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講演会:中村拓志「感覚へ」

いつだったか、NHKのトップランナーにも出演していた建築家・中村拓志さん。そんな巷で有名な氏の講演会が先日九州大学でありました。三十代前半のとても若い建築家の話は、それゆえに妙なリアルさを伴います。今思うと、そのリアルさとは、そこで発せられる声の距離なのでしょう。コミュニケーションにおいて、年齢とはやはり無関係ではないようです。

「感覚」という非常に曖昧なものをこれからの建築の拠り所と考える氏。それを建築の手法として説明するために、人の近傍に着目し、手の届くような感覚的に良いと思う部分を抽出、そしてその反復またはオーバードライブによってボトムアップ式に建築を組立てようとしています。いわゆる俯瞰的な「巨匠スケッチ」に対するアンチテーゼであり(本人曰く否定ではないとのことですが)、要するに全体から部分に向うボトムダウンではなく、単位空間の集合によって全体を構成させようという発想です。部分の集合という考え方自体は、最近の若手建築家に多く見受けられる考え方ですが、その部分にあたる単位を感覚から生まれる単位空間として捉えているところにオリジナリティがあるのかなと感じます。商業建築を多く手がけている氏らしい考え方です。確かに、インテリア性やメディア性の高い商業建築においては、建築の構成などはさほど意味を持たないのでしょう。それはなんとなく共感できるところです。

ただ、例えば最近発表された地層の家など、その手法に必ずしも一貫性が感じられないのも率直な印象です。まぁ、一貫させる必要性が一体どこにあるのかと問われれば、それもそうかもしれません。しかし一貫性は別として、ふと思うのは、内部から発せられる空間の膨らみは、その膨らみと膨らみとのぶつかる境界ではどのようになるのでしょうか。敷地という境界で切れるのでしょうか。おそらくそれは違う。建築の発想を内部に求めようが、外部から出発させようが、絶対に外部や別空間とのせめぎあう部分は考えないわけにはいけません。要するに空間の膨らみが永遠でなく(地球上にある空間はほぼすべて有限でしょう)、境界が存在する以上は境界をデザインしなければいけないのではないかと思います。敷地の中でスパッとその増殖を断ち切ることは、建築の避けられぬ限界なのでしょうか。もしそうであれば、結局それらは単にアプローチの違いだけであって、時代や社会という背景の中でその一長一短を指摘しあっているに過ぎないのかもしれません。建築は建築単体としての域を超え、集落的な建築、または都市とをシームレスにつなぐような建築として拡張できないものでしょうか。ちょっと飛躍しすぎた感がありますが、とにかくそんなことを考えるきっかけになる講演会でした。命題だな〜
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